オカメインコのららちゃんについて。。。ららちゃんと四半世紀を共に生きて思うこと
オカメインコのららちゃんの命日が近づいてきました。
ららちゃんが、亡くなったのは、6月の初め、丁度蒸し暑くなってきた時期でした。
月日が過ぎるのは、本当にあっという間ですね。
早いもので二年が過ぎようとしています。
早いもので二年が過ぎようとしています。
25年近く一緒だったららちゃんを亡くすことは、本当に悲しくて・・・
私のペットロスも酷かったです。
なかなか悲しみから立ち直れませんでしたが、昨年お迎えしたコバタンのりりーちゃんのおかげで、だいぶ立ち直ることができました。
コバタンのりりーちゃんは、いつも元気一杯で、わんぱく坊主です(笑)
私のそばに、25年も寄り添ってくれたららちゃんは、正真正銘の天使でした。
そして今、私を笑顔に、元気にしてくれる、りりーちゃんの存在は、偉大です!
私もまだ高校生で、あの頃は、ららちゃんがその後、25年近くも生きるとは思いませんでした。
私も今は、40代になってしまいました(笑)
オカメインコのららちゃんは、私の10代、20代、30代、40代を、共に生きてくれました。
ららちゃんとの思い出は、永遠です。
ららちゃん、沢山の幸福を、ありがとう・・・
ららちゃんが長生きしてくれたのは、私の飼い方が良かった訳ではなく、ららちゃんがとても元気に生まれてきてくれたからだと思います。
私は、意外とダメなところも一杯あるんです。
私がもっと大切に、きちんとお世話していたら、もう少し長く生きれたかもしれません。
25年近くも一緒にいれて・・往生際が悪いのですが・・・
ららちゃんのことを思うと、まだ悔やまれる気持ちが強いです。
ららちゃんのことを思うと、まだ悔やまれる気持ちが強いです。
私の気持ちが本当に立ち直るのは、まだ先のようです。。。
時の流れをゆっくりと待つのみですね~
ありがとう・・・
大好きなららちゃん
平成30年11月30日追記
ららちゃんは、平成元年度生まれです。
平成が終わろうとしていますが、私にとっての平成の愛鳥は、オカメのららちゃんでした。
オカメのららちゃんが、コバタンのりりーちゃんに引き会わせてくれたのかな…と最近時々思います。
ららちゃんが、亡くなった後のタイミングで、りりーちゃんはお迎えを決めましたし、
ららちゃんは、りりーちゃんのようにおしゃべり上手ではありませんでしたが、私の考えていることが大体分かる様子でした。
長年一緒にいたこともありますが、意思疎通ができていたような?そんな感じがします。
ららちゃんの性格は、神経質でデリケートでしたが、意思が強く、賢く、意外とメンタルは強い鳥だったな・・と思います。
私以外の家族から触られることを嫌い(触られる事が嫌いなだけで、家族の事は好きな様子でした)
ららちゃんをナデナデできるのは、私だけでした。
皆、ららちゃんをナデナデしたかったのですが、嫌がる事はやめよう!と意見は一致して、
なるべくららちゃんの好きなように、自由にさせました。
私は、幼少期からセキセイインコなども飼育してきましたが、小鳥は、自己主張が強い子が多いな…と思います(個体差がありますが)。
大型鳥のりりーちゃんは、破壊力が凄いので、やはり躾も必要且つ、とても重要になりますが、オカメのららちゃんは、そんなに躾などもしないで生活する分には大丈夫でしたので、なるべく自由にしてもらいました。
ららちゃんは、男の子でしたが、大人しいタイプだったので、躾なしでも、ほとんど問題はありませんでした。
ららちゃんが、12歳の時、グローバル動物病院の廣瀬先生に診て頂きました。
その時、「太っている」と言われました。
私は、ビックリしました!
ららちゃんは、放鳥時間も長く、毎日飛ぶことが好きで、沢山飛んでいましたから、太っていると言われて、どうしてだろう?と思いました。
当時は、ペレットもない時代でした。
シードで、ららちゃんは育ちました。
又健康を保つ為の、毎日の整腸剤も勧められました。
母親も、ナデナデさせてくれない、ららちゃんの面倒をよく見てくれていましたが、ナッツを少量こっそりとあげていました。
副菜は、小松菜が中心でした。
果物や他の野菜は、時々与えました。
今のように、バラエティー豊かな副菜はあげませんでした。
オカメのららちゃんの食事は、シンプルであることを目指しました。
お水は、白湯を冷ましてあげていました。
一緒に市販のビタミン剤もあげました。
ららちゃんは、飛ぶことが大好きで、毎日沢山飛んで、華麗で美しい飛行を見せてくれました。
私もららちゃんが、自由に楽しそうに飛ぶ姿を見ることが、とても幸せでした。
20歳過ぎてから、横浜小鳥の病院で、レントゲン撮影をした際に、獣医師の先生方に、「若い良い体つきです!!老長の体には、見えません!!」と驚かれました。
その時に、毎日の飛行も評価して頂きました。
飛ぶことは、心肺機能を高め、健康促進に繋がるそうです。
ららちゃんは、生涯一度もクリッピングはしませんでした。
クリッピングをしなくても、ららちゃんは、何かと大丈夫でした(問題はありませんでした)。
ロスト対策としては、放鳥は、夕方から夜間を中心にしました。
鳥は、明るい方向に飛んでいく習性があるので、万一、窓が開いても、暗い野外に飛んでいく可能性は低いので。
日光浴は、ららちゃんが、大変嫌がった為、ほとんどしませんでした。
神経質なららちゃんに、ストレスを与えたくなかった為、あまり意味がないかもしれませんが、窓越しの日光浴でした。
飛ぶことが好きなららちゃんも、いずれ飛べなくなる日が来るのだろうな・・・と覚悟していましたが、
それは、筋力の衰えなどで起きるのだろうと思いましたが、老化により目が不自由になり、飛べなくなりました。
当時、複数の小鳥の専門医の獣医師の先生方に診て頂きました。
白内障や、脳腫瘍の可能性を示唆されましたが、小鳥の目の治療は、その頃の医学では、ほとんどできない状態でした。
白内障や、脳腫瘍の可能性を示唆されましたが、小鳥の目の治療は、その頃の医学では、ほとんどできない状態でした。
私も、目が不自由になる程の老鳥のお世話は初めてで、ららちゃんの歩き方が少しおかしいな?と思っていましたが、遊びの中で、ららちゃんの片目が見え難くなっていることに初めて気が付いた時は、本当に悲しかったですし、今迄気がつかなくて、ららちゃん、ごめんなさい。と思いました。
高齢鳥になってくると、触られることが大嫌いなららちゃんを保定して、点眼をしたり、頓服をしたりと、
老鳥になっていくと、幼児期のようにお世話が必要になる時もあります。
亡くなる前は、全盲になってしまった時は、ららちゃんを一羽にしておくと、食事もしていない感じでした。
幼児期のように、私が食事を与えると、よく食べました。
高齢鳥は、お世話は増えますが、その分、眠る時間が増えたり、発情が減ってきたり、楽な面もあります。
ららちゃんの目は、18歳位から見えにくい状態になっていきました。
片目づつ少しづつ、、最初の頃は、光も感じられますから、飛ぶこともできます。
ららちゃんの場合は、6年間位かけて、ゆっくりと目が見えなくなりました。
勿論治療もしましたが、その頃の鳥の医学では、鳥の目の治療は、ほとんどできない状態でした。
亡くなる1年前位からは、全盲でした。
ららちゃんは、私がいないとじっとして、つまらなそうで、何もしなくなりました。
私の帰宅時間に合わせて夜間時を中心に、起こしたり、遊んだり、食べさせたりしました。
目が見えなくても、私と一緒の時は、若鳥の様にさえずり、とても楽しそうでした。
目が見えなくなると、1センチの段差も怖がり、歩けなくなりました。
私と一緒の時は、安全だよ!段差もないよ!
そんな風に感じてもらえるように安全な状態を作る努力をして、放鳥(飛びませんが)毎日ケージの外には、亡くなる日迄出てもらいました。
目が見えなくても、遊びの中で、自発的に歩いたりもしてもらいました。
亡くなる一年前には、嘴に黒い斑点ができて、肝臓の治療も始まりました。
お薬のお水を飲みたがらなくて、大変でした。
ららちゃんは、定期的にオカメパニックもあり、パニック時に、あちらこちらと、体をぶつけて、そしてショックなのか、決まって食事ができなくなりました。
パニックから、断食になってしまいました。
その対応策としては、獣医師の先生から栄養剤を頂いていましたので、その栄養剤を少し飲ませると、食事ができるようになりました。
ほとんど一人でお世話をしていたので、一羽でも、大変でした。
シッターさんや、家族にお手伝いしてもらう道を、模索するべきだったのかな?などと亡くなってからあれこれと考えました。
母親の、三か月に渡る長い入院を終えて、母親が退院してきたことを、見届けて、ららちゃんは、その翌日に亡くなりました。
最後迄、若鳥のようにさえずり、幸せそうに、幼少時期から入っていたお気に入りの巣箱でお昼寝しながら、亡くなりました。
私には、途方もない程の深い悲しみでしたが、良い亡くなり方だったのだと。。。今は思います。
老鳥の鳥の体は、鳥自体は、きっと辛いところ、苦しいところが沢山あり、それでも頑張っているのだと思う。
と獣医師の先生に言われて、その通りだろうな。。と私も思いました。
24歳4か月で亡くなったららちゃんでしたが、獣医師の先生には、ららちゃんなら、30歳迄生きるよ!と励まして頂きましたが、私は、それは無理だ!と心の中で思いました。
ららちゃんは、亡くなる3年前位から、エネルギー、生命力が減った感じがして、生気、覇気がない感じになっていきました。
死期が近づいてきている感じは、飼い主の私には、何となく感じとれました。
ららちゃんは、平成25年に亡くなりました。
あれから5年が過ぎて、鳥の医学や、栄養学も又進化してきています。
ららちゃん幼少時期からペレットをあげていたら、ららちゃんは、どんなだっただろう?
目は、もっと長く見えたかな?
もっと長生きできたのかな?
色々と思います。
少し前のお話でしたので、あまり参考にはならないかもしれませんが、
私は、飼育本や、獣医師のご意見も、勿論とても大切ですが、
鳥には、それぞれ個性がありますので、その鳥に合う育て方を探すこと、見つけ出すことがとても大切だな・・・と感じています。
鳥には、それぞれ個性がありますので、その鳥に合う育て方を探すこと、見つけ出すことがとても大切だな・・・と感じています。
結局、飼い主さんご自身で考えぬいて、独自の道筋を見つけなくてはいけないのだと・・思います。
オカメのららちゃんは、私の親友のような存在でした。
哲学的な宗教的な雰囲気がある賢い、可愛いくも、カッコいいオカメインコでした。
鳥の素晴らしさを、本当に沢山教えてもらいました。
長文を最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました。
愛鳥さんと、飼い主さんのお幸せが、いつまでも続きますように・・・
愛をこめて
LOTS OF LOVE